こんにちは。
昭和48年〜49年にかけてじょうてつバスで車掌をやっていました。懐かし想い出がよみがえってきます。良い部分も悪い部分も含めて、学生時代のアルバイトで初めて触れた社会体験でした。
☆ じょうてつについて
私がしていたときは、夏期はトップドア車が2両、前後扉車が何両か専用で運用についていました。手帳を探し出せば車両がわかるのですが。
冬季は貸切乗務員が路線の手伝いにくる関係で、ほとんどが貸切用トップドア車でした。
正直言って客席と一体型の車掌席の記憶がありません。分離型は最後部座席と段違いになっていました。足下がステップのため、ワンマン運用時によほどでない限り一般の方は座らなかったと思います。
在職当時から正社員車掌の間で出ていた乗降問題からから、退職後、後扉を改造閉鎖しトップドア車にして使っていた車両もあるようです。
ふそう中型車もあったのですが、私が勤めていた時に限っては、石山6区も含めて路線定期に使っていた事はありませんでした。ただ、どこかの従業員輸送だかに使っていると聞いた覚えがあります。
☆ 市営マイクロバス(三菱ローザ)
昭和30年代後半か40年代前半に、篠路線経路の道路改良の際に連絡バスとして使っていた事があります。何処で乗り替えたかはわからないのですが。
☆ 車掌ブザー
市営の車掌時代も経験しているのですが、ブザーがじょうてつと逆でした。降車客がいるときは2回、いないときは1回でした(これ じょうてつだったかなぁ・・・)。
☆ 車掌と誘導員
市営バス滝野線は最後のツーマン路線でしたが、晩年はワンマン扱いとし、誘導員が乗っていました。
皆様、コメントありがとうございます。
定山渓駅様、
>>(73年式MR410・藻ふ277と278)
> これは、いつ頃廃車になったのでしょうか?87年頃ですか?
確か84年の春で、83年の暮れに入った新型車に引き継ぐ形で引退したのではないかと思います。他の車両と共に東営業所の構内に留置してあるのを見たのが最後でした。
CITY様、
>車掌席が乗客用シートと一体になっている車両と、完全に車掌席と
>最後部乗客用席が分離している車両があったように記憶しています。
分離していた車両は記憶にないのですが、客席として使うことの出来ない構造だったということでしょうか。古い車両にそういったタイプがあったのかも知れません。駒岡に初期型前後式の廃車体があるらしいので、機会があれば確認してみたいと思います。
>途中の高校最寄りバス停で降車時間短縮のために、前ドアからも降車を扱う場合もありました。
確か普通便でも終点などで前ドア改札を実施していたような記憶もあります。
daisukebe様、
>ナンバーで言うと札22あ32**あたりから、ワンマン専用車になっ
>たと記憶しています。
あ3269前後の車両にはまだ車掌用機器があったと思いますが、私の記憶違いでしょうか。83年のモデルチェンジ後(あ3558〜)は間違いなく車掌席はありませんでした。
>真駒内駅発12:50、石山1条6発13:20の便がそれだった。
確か最初は「選鉱場前」で、しばらくしてから「石山1条6」に変わったようですね。札幌駅前発の便も延長の予定があったらしいですが、実現されなかったようです。
>じょうてつバスで、ふそうの中型車(前扉)が石山6区線で運行さ
>れていた時代が有ったそうなのですが、
これは興味深いですね。定鉄は知りませんでしたが、市営で南の沢線、北の沢線などにマイクロバス(三菱ローザ)を使っていた時期はあったようです。市営のマイクロバスで私が現車を見たことがあるのは荒井山線だけです。
daisukebeさん>
機種依存文字(「キロ」の単位文字)を使用されていたので修正しました
このような単位文字も丸囲み数字やローマ数字と同様に文字化けします ご注意ください
とりあえずご連絡まで
こんにちは。
> 藻岩営業所の車掌時代は懐かしいです。
私もこの辺の話題は大好きです。「いよっ、待ってました」って感じ。
> 車両は旧定鉄から移籍したツーマン車が主体で、その後は各営業
> 所から経年ツーマン車や車掌台付のワンマン車をかき集めて運行
> に当たっていたようです。それでも足りなかったのか、83年に市
> 営最後のワンツーマン兼用車(いすゞ6、日産デ5)が入ったのは
> 有名ですが・・・。
そのころの車両をもう一度見てみたいです。ああ懐かしい。
私の記憶では、ツーマン限定路線というのはいくつか有りましたが
(だんだんワンマン化されていったが)、その間合い運行で、さまざ
まな路線にツーマンバスが入っていたのが興味深かったですね。
たとえば代表的なところでは南96南沢、南95藻岩、南4・84・94真
駒内、南65中の島、西岡三線、南97北ノ沢(かつては「北ノ沢二股行
き」なんてものも有ったね)等の路線で時折ツーマンバスを見かける
ことがあった。普段はそれらの路線はたいていワンマンバスなだけ
に、なおさら興味深かった。
中でも藻岩線は、硬石山発着便はツーマンバスを比較的多く見るこ
とが出来たが、1日1往復だけ石山1条6発着のものがあった。真駒内駅
発12:50、石山1条6発13:20の便がそれだった。対キロ区間にかかる
ため、車掌は整理券器と運賃幕を複雑に操作していたのが印象的だっ
た。
> >後方席に女性が回数券を販売
>
> 私が79年ごろに乗車した 定山渓−豊平峡 間は車掌さんが乗務し
> ていました。最後部席の左隅が車掌席を兼ねていて、必要な場合
> は乗客席との間に仕切棒を配して車掌が乗務していました。前後
> 式の車両で車掌乗務というのが当時珍しく、印象的でした。ただ
> しいつまで車掌乗務があったのかはわかりません。
> 車両のほうは82年車まで車掌用機器を搭載していましたが、83年
> ごろからワンマン専用車になったと記憶します。
ナンバーで言うと札22あ32**あたりから、ワンマン専用車になっ
たと記憶しています。定山渓〜豊平峡線のほかに、石山6区線は、最
後まで車掌が乗務していました(1984〜85年くらいまでだったと思う
が)ただ、私が乗車したときは、運行形態は、ほぼワンマンバスのそ
れでした。車掌は「後退誘導員」的な存在だったのでしょうか。
じょうてつバスで、ふそうの中型車(前扉)が石山6区線で運行さ
れていた時代が有ったそうなのですが、それらしい車両を営業所(真
駒内時代)の構内で見たことはあるのですが、実際に運用されている
ところは見たことが無いのです。どなたかご存知の方はいらっしゃい
ますか?
お久しぶりです。
石狩線さん>
> 中央バス移管直後、滝野線(滝野行き)に一度だけ乗車しました。
> (乗ってみたい興味もあったので)
> その時に乗務していたのは運転手1名だけで、車掌はいませんでした。
自分は北海道中央バスへ移譲直後の滝野線の運用につく車両(いすゞの大型ショート車でした)を見ました。真駒内駅から乗客を乗せる直前の車内を見たら、最後部の座席に職員の方が乗っていました。おそらく車掌だと思います。現在も乗っているかは不明です。
> で、滝野線については、恐らく後者の転回場の問題が挙げられる
> と思います。厚別の滝付近の三角コーナーの道路幅の狭い道のこと
> も挙げられるかもしれませんが、特に滝野の転回場所は、後退をし
> なければ方向転換をさせることができず、そのことからワンマンの
> 認可条件を満たせず、車掌を乗務させていると思います。
> ただ、「バス路線の参入自由化」により、認可条件が変更されて
> いるかもしれませんので、今はどうなっているでしょぅか…
中央バス移管直後、滝野線(滝野行き)に一度だけ乗車しました。
(乗ってみたい興味もあったので)
その時に乗務していたのは運転手1名だけで、車掌はいませんでした。
沢です。就職活動で忙しく、ご無沙汰しておりました。
定山渓駅さん:
>それ以来滝野線に乗っておらず、中央バスになった現在は、どうな
>のでしょうか?
僕も市営バス時代に滝野線に乗ったきり、中央バスに移管された後は乗車しておりませんが、恐らく車掌は乗務していることと思います。と言うのは、「ワンマンバス」の認可条件を満たさないことにあります。
僕も、「ワンマンバスの認可条件」というのは詳細に存じ上げませんが、認可条件に、道幅の問題、そして、転回場所の問題が挙げられると思います。前者については、地域は離れますが、静岡県の大井川鉄道バスの千頭駅−寸又峡温泉を走る路線で、道幅が狭いためにワンマンバスの認可条件を満たせず、そのため車掌を乗務させていると、乗車時に乗務員から伺いました。
※朝の便に乗ると、途中の広めの待機場でバス同士の交換が...(^^;
で、滝野線については、恐らく後者の転回場の問題が挙げられると思います。厚別の滝付近の三角コーナーの道路幅の狭い道のことも挙げられるかもしれませんが、特に滝野の転回場所は、後退をしなければ方向転換をさせることができず、そのことからワンマンの認可条件を満たせず、車掌を乗務させていると思います。
ただ、「バス路線の参入自由化」により、認可条件が変更されているかもしれませんので、今はどうなっているでしょぅか…
はげ さん、栗山 雅俊 さん、こんにちは。
>私が79年ごろに乗車した 定山渓−豊平峡 間は車掌さんが乗務していました。
>最後部席の左隅が車掌席を兼ねていて、必要な場合は乗客席との間に仕切棒
>を配して車掌が乗務していました。前後式の車両で車掌乗務というのが当時
>珍しく、印象的でした。
じょうてつ の前ドア締め切りの前後ドア車、私も80年頃よく乗車していました。
栗山さんの乗車された車両のように車掌席が乗客用シートと一体になっている車両と、完全に車掌席と最後部乗客用席が分離している車両があったように記憶しています。
じょうてつ では昭和48年(1973年)の市営への一部路線移譲の際に中ドア付きの車両の大部分を市営に渡し、路線車は前後ドア車でほぼ統一されたため、前ドア締め切りで後ドアのみ使用のツーマン車が基本でした。
当時、前半分が1+2席、後ろ半分が2+2席の車両であったため、後ドアのみの扱いでは混雑時に降車しずらく、学生専用便での運用で途中の高校最寄りバス停で降車時間短縮のために、前ドアからも降車を扱う場合もありました。
なにぶん、20年以上昔の記憶しか無いものですから、あいまいな記述が含まれていることをご容赦下さい。
>それ以来滝野線に乗っておらず、中央バスになった現在は、どうな
>のでしょうか?
すみません。「どうなのでしょうか」というのは、「現在も車掌乗
務しているのでしょうか?」 という意味です。
皆様、「しめきり」のご回答ありがとうございます。
私も、(南92)滝野線が、北海道中央バスに移譲される10日位前に
改めて、乗りに行きました。厚別の滝付近でも車掌が車が来ないか
チェックして、「発車、オーライ!」運転手に伝えていました。
その時、「真駒内駅前〜滝野」迄乗りましたが、うっかり1DAY
カードを通してしまい、適用区間外の「恵開拓記念碑前〜滝野」だ
けに乗ったことにしてもらい安く乗れて、融通を利かせてもらった
車掌さんには感謝しており、今でもよき思い出として残っています。
それ以来滝野線に乗っておらず、中央バスになった現在は、どうな
のでしょうか?
栗山 雅俊様
>市営最後のツーマン専用新車も藻岩所属で、2両ありました。
>(73年式MR410・藻ふ277と278)
これは、いつ頃廃車になったのでしょうか?87年頃ですか?
よろしければ、お教えください。
すっかりツーマンの話題になってますね。
木藤さま>
車掌と運転手間での合図、ありましたね。
次停車のときは「次、願います」と車掌がアナウンスしてからブザーを鳴らして
通過のときは「次、オーライ」のアナウンスの後にブザーを鳴らしていた記憶があります。
滝野線、一度だけ終点滝野まで乗ったことがあります。
回転場がなく、民家の敷地内で車掌の誘導で転回してました。
当時、車掌さんに「何もないトコでしょう」と言われましたが(笑)
皆さんお久しぶりです。
私も車掌時代懐かしいです。といっても、たぶん皆さんよりは経験は少ないとは思いますが(笑)
たしか押しボタンが使えなくなってて、降りる時は車掌さんに言うんですよね。
で、降りる人がいるときは「プ」(分かっていただけますよね?)で、
いないときは「ププ」と運転手と合図を取り合ってた記憶があります。
もっとも、南92滝野線は降りる人が少ない(乗客も。。。)ので、いつも「ププ」でしたが。。。
ホントに懐かしいです。
皆様、こんにちは。
藻岩営業所の車掌時代は懐かしいです。
他の多くの営業所が全線ワンマン化されていく中で、藻岩は最後まで車掌乗務の多い営業所として印象的でした。
車両は旧定鉄から移籍したツーマン車が主体で、その後は各営業所から経年ツーマン車や車掌台付のワンマン車をかき集めて運行に当たっていたようです。それでも足りなかったのか、83年に市営最後のワンツーマン兼用車(いすゞ6、日産デ5)が入ったのは有名ですが・・・。
市営最後のツーマン専用新車も藻岩所属で、2両ありました。
(73年式MR410・藻ふ277と278)
はげ様、はじめまして。
>後方席に女性が回数券を販売
私が79年ごろに乗車した 定山渓−豊平峡 間は車掌さんが乗務していました。最後部席の左隅が車掌席を兼ねていて、必要な場合は乗客席との間に仕切棒を配して車掌が乗務していました。前後式の車両で車掌乗務というのが当時珍しく、印象的でした。ただしいつまで車掌乗務があったのかはわかりません。
車両のほうは82年車まで車掌用機器を搭載していましたが、83年ごろからワンマン専用車になったと記憶します。
かつて、じょうてつバスで後方席に女性が回数券を販売
している姿が、記憶にあります。
分かる方は教えてください。
定山渓駅さん、北営業所の高速車さん、こんにちは。
> 平成元年位まででしょうか?平成元年頃、真駒内駅前バス発着場
>で見たのですが、市営バス(南98)藻岩山手線(真駒内駅前―道路管
>理事務所前)の前扉横に、通常「出口」あるのが「しめきり」とい
>う表示、側面中扉が「入口」ではなく「出入口」となっていて、恐
>らく車内も運転手横に鉄の棒がついて料金箱から先へ行けない様に
>なっていた記憶があるのですが、これは何のためだったのでしょう
>か?
これは、ワンマン・ツーマン兼用車のツーマン使用時の状態です。
ツーマンとは乗務員が運転手・車掌の2人体制のバスで私が学生の頃はツーマンのバスが普通に走ってました。
徐々に車掌を省略したワンマンバスが増えてきましたが、車掌の役割のうち、道路上で後退する時の誘導員としての役割は運転手が一人で兼務することは原則として出来ません。
そのため、大型車がすれ違い可能箇所相互間の見通しが利かず車両同士がお見合いし、後退する必要が生じる可能性がある場合や、バスが1回で切り返しをせずに右左折出来ない交差点を通過する路線は誘導員としての車掌が乗務する必要がありました。
藻岩山手線は川沿1条1丁目付近の交差点が狭かったのと、冬期間急勾配上で再発進不能になる可能性が有ったため比較的遅くまで、車掌の乗務が残っていたと思われます。
ワンマン化可能になったのは前者は交差点の、後者はロードヒーティングの整備が進んだためと思われます。
箇所は違いますが、かつて北海道中央バスの小樽市内祝津線では終点側の一部区間に大型車すれ違い可能箇所相互間の見通しが利かない箇所が有ったため、その区間のみ誘導員を乗車させていました。
ここも道路改良により大型車すれ違い可能になったため現在では通常のワンマン運行になっています。
こんにちは。はじめてカキコします。
現在愛知県民なもので、最近の北海道事情には疎いのですが。。。
定山渓駅さま>
前扉を締切にしたツーマンバスは(南93)南沢線でも運行されていました。
中扉のところに車掌がいまして、車内放送も車掌がしていましたね。
藻岩営業所管轄では現在中央バスに移管された(南92)滝野線がツーマンでしたから、
その運用の都合上で他路線にもツーマンバスが運行されたのだと思います。
(南92)滝野線のツーマンバスはテレビニュースにも取り上げられたこともありました。
なんか懐かしい話ですね。