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02 新潟交通・蒲原鉄道
1998.9.6.
新潟交通・蒲原鉄道
新潟交通 路線図
蒲原鉄道 路線図
白山前
東関屋
東青山
平島
寺地
ときめき
焼鮒
越後大野
黒埼中学前
新大野
木場
板井
七穂
吉江
味方中学前
味方
白根
千日
曲
月潟
六分
新飯田
小中川
灰方
燕
五泉
今泉
村松
西村松
寺田
大蒲原
高松
土倉
冬鳥越
七谷
狭口
駒岡
東加茂
陣ヶ峰
加茂
村松−加茂間の廃駅情報は Mackerel Line さんからいただきました。誠にありがとうございましたm(_ _)m
2001.8.28.
突然、かつての車内販売バイトの先輩、ぴろちさんに魚津まで会いに行くことになった。当初の目的はホームページの作り方を聞くことだったが、9月1日にホームページを立ち上げることが出来て、学校ではプロキシ制限で作ることが出来なかった掲示板を作るのが目的のひとつになっていた。(レイラーズ・ボードはこうして出来たんですねぇ)私が彼を師匠と呼ぶ所以はこの辺りにある。
二人で話すうちに、急遽、来年4月になくなるといわれている新潟交通と蒲原鉄道に車で乗りに行くことになった。ぴろち師匠は新潟交通には何度も乗りに行っているらしいが、私は初めてであり、元々興味のある鉄道だったから願ったりかなったりである。師匠にはこの日に導入したカーナビを試したいという目論みがあったようだが。
一路、新潟県へ
思い付いたのが土曜日の夜だったので、始発電車に乗るべく、真夜中を国道8号線経由で魚津から東へ。しばらくはカーナビもただ「直進です」と喋るだけのスピーカーだったが、目的地近くで絶大なる威力を発揮。滅多に道に迷わない地図派の私もちょっと惹かれるものがあった。値段さえ高くなければいいかなとも思ったりする。
さて、最初は蒲原鉄道の終点、村松に車を停めて乗りに行こうということになったが、実際村松に着いてみると、始発まであまりにも時間があり過ぎる。これならばと新潟交通の終点、月潟まで行き、新潟交通から始めることにした。
月潟〜東関屋
月潟駅前に車を停めて、始発電車に乗り込んだ。さすがに誰もいない。しかも月潟から始発電車に乗るなんていうのは、こんな方法でないと絶対にありえないシチュエーションで、面白い。
師匠が車掌に声をかけてフリー切符を求める。車掌は白根駅に連絡して、切符を発行してもらう。白根到着時に切符を受け取る。無人駅から乗車しているのでこうした措置がとられているわけだ。師匠はさすがに手慣れている。
朝早すぎて「鉄」らしき人もいない電車は、若干の乗客を乗せて北上する。ふと待ちあわせた対向列車に目をやると、こちらはいかにもとおぼしき「鉄」が数人前面にかぶりついていた。我々のほかにも朝早くからいるものだと感心する。
越後大野、焼鮒付近でようやく人が集まってきたが、着々と終点が近づいている。途中に「ときめき」という怪しい雰囲気漂う名前の駅があり、とりあえず見逃せないとチェックして、新潟市内に入ると終点の東関屋であった。
東関屋〜新潟
乗客は例外なく駅前のバス乗場から新潟駅前行きのバスに乗り込む。我々も一緒に乗り込んだ。新潟交通は長らく県庁近くの白山前を起点としていたが、白山前−東関屋間は道路との併用軌道であり、道路事情の良くない新潟県では廃止もやむなしだった。かわりに東関屋駅前が整備され、駅前へのバスがサポートすることになった。バス車内にも停留所を明記した連絡バス利用を促す掲示が出ている。
新潟交通の中心、万代シティバスターミナルを通り、新潟駅に到着した。駅まで来た人はごくわずかで、金沢と同じく町の中心は駅から離れていることを物語っている。
新潟〜新津〜五泉
蒲原鉄道の起点、五泉は磐越西線の駅で、快速「あがの」が先着するが、とにかく眠いので先行の新津行き普通に乗って一休みすることにした。これが電車ではなく磐越西線用の旧型気動車で、多少寝苦しかったが、遅いおかげで充分に睡眠をとることが出来た。
新津で新潟からの快速に乗車し、一駅で五泉に到着した。JRとは改札内で直接つながっており、師匠は直接蒲原鉄道ホームへ向かったが、私は一旦改札をくぐってみた。すると駅舎は共用ではなく、蒲原鉄道の駅舎が存在した。ここで切符を購入し、ホームへ向かうと師匠のほかどうみても地元の人はいなく、それらしき人だらけである。廃止間近の鉄道はやはりこんなもんかとホームでじっと待つと、キシキシ車輪をきしませて電車がやってきた。
五泉〜村松〜新潟
この路線、たった途中駅一つのミニ路線である。発車すると右に大きくカーブを描き、直線に出ると、朝通った記憶のある道路と並行し、あっというまに終点の村松についてしまった。
蒲原鉄道はかつては信越線の加茂まで路線が延びていたが、その大部分である村松−加茂間を廃止してしまった。この時にすでに命運は尽きていた感があるが、五泉周辺でバス事業も営んでおり、鉄道の残された道はないと、私でも思う。
その蒲原鉄道が、村松から新潟まで、開通したての磐越道経由の高速バスを運行していた。しかも発車はもうすぐである。我々は迷わずこれに乗った。
村松発車時でもかなりの乗客が(もちろん「鉄」以外に)いたが、五泉市内でこまめに停車して客を集め、かなりの席を埋めて高速道路に入った。たいしたもんだと思ったが、高速道路上のバス停からもけっこう客が乗ってくる。満員御礼となって新潟の市街地に突入した。バス社会が進行しているようである。(ちなみにこの日は日曜日)
途中で下車して東関屋行きを待ってもよかったが、結局駅まで行った。どうも駅前まで行かないと落ち着かないのは「鉄」の習性か。
新潟〜東関屋〜白根〜板井〜月潟
さて、新潟駅前から連絡バスに再び乗り、東関屋駅へ。次の発車は白根行き。東関屋で待つよりは・・・と、とりあえずこれで白根まで行くことにしたが、なんと車内は中学生や高校生らしき集団も混じって大盛況である。意外と一般乗客が多いものだ。
乗客を着々と降ろしていき、終着の白根に着いた。ここは白根を名乗り、白根市の代表みたいな顔をしているが、所在は味方村白根で、白根市は川の向こう側にある、駅を出て川を見ると橋まではかなり遠く、沿線唯一ともいえる市を利用から遠ざけている気がする。駅前に広場もない。
次の月潟行きを待つのも時間があり過ぎる。駅でもらった時刻表を見ると白根で折り返しの電車は木場で月潟行きとすれ違うようである。それならばとその手前の板井まで迎えに行くことにした。フリー切符の本領発揮である。
板井から乗り込んだ月潟行きは、さっきと違って乗りに来たらしい人があふれていた。やはり終点まで行かないと乗ってもらえないらしい。白根で降りる人よりも多いくらいであった。
新潟交通はかつて弥彦線の燕まで路線が延びていた。月潟駅では燕方面へ若干線路が続いていて、その跡を少し残していた。折り返しの時間に写真を撮ったりして思い思いに時を過ごす同志を横目に、車に乗り込んで新潟を後にした。
2001.8.28.追補
新潟交通は1999年4月4日をもって廃止された。
その後、蒲原鉄道はしばらく存続するかに見えたが、1999年10月4日に廃止された。